マンションのネットワークをつくる

私たちがめざしたマンション・ネットワーク


【はじめに私見】  2001/4/6記

 どうして、マンションには、こんなに問題がたくさんあるのだろう?
 となりのマンションでも、同じ問題が生じているのだろうか?
 あのマンションでは、この問題をどうやって解決しているのだろう?
 本を読んでも、こんなことできっこないと感じることも多い。
 でも、ひょっとしたら、じぶんたちのレベルが低すぎるのだろうか?
 考えれば考えるほど、悩みは深まるばかりだ。


 こんな理事長さんの心の内を知らずに、マンションは語れない。
 マンション管理にまじめに取り組んだことのある人なら、みんな経験したはずのことが、知識として共有されていない。
 このことは、社会的に見て大きな損失だと考える。
 そう感じている理事経験者は、少なくないと思う。

 知識・情報の共有
 これを、「私たちの知りたいレベル」で可能にしてくれたのはインターネットである。
 私たちが知りたいのは、統計的に処理されたデータではない。
 そういう情報は、これまでも、いろんな形で提供されてきたと思う。
 しかし、平均的な家計というものがナンセンスであると同様に、
 平均的なマンションなどというものは存在しない。
 いや、そのことを知ったのは、じつは、たくさんの方とお話しできたからだ。
 十人十色と言うが、マンションは百棟百様だというのが、わたしの実感である。
 ヒトのネットワークをつくることは何より大切だが、それと同じように、情報のネットワークをつくることの威力を感じている。
 インターネットは、情報発信の費用が、ほとんどゼロに近い。
 少なくとも、「量」の制約がないから、具体的な話をどんどん発信できる。
 これまでのメディアとの決定的な違いは、情報発信への制約がないことだと私は思っている。

 ネットワークとは、つながりという意味だと解してる。
 とにかく、その程度にとらえ、あまり難しく考えないことにする。
 規約だ、会費だ、役員だ という話は、ちょっと横へ置いておこう。
 枠組やしくみを考えるのは、後回しにしよう。

 そして、ふだんの暮らしから、ほんのちょっとだけ足を踏み出してみる。
 その、ほんの少しの勇気が、私を変えた。

 そして、そこで学んだことを、こういう形でヒトに伝える。
 正直に、すこしだけ、ワクワクする気分がある。
 これからお話することが、あなたが抱えているマンション問題解決のヒントになれば、幸いである 


生い立ちについての簡単な説明

(以下は、「財団法人 北海道建築指導センター」の求めに応じて、同法人の情報誌「センターリポート」に寄せた、私たちのグループの紹介記事である。)

 ◆好奇心から活動が始まる

 誰かが大きな声で呼びかけたわけでもなく、最初に確かな理念があったわけでもない。気がついたら、同じ志を持った仲間が自然に集まっていたというのが私たちのグループの始まりでした。
 きっかけは、今から3年前、ひとりのマンション管理組合理事長が、「私のマンションで困っている問題を、ほかではどのようにして解決しているのだろう?」という疑問を持ち、近くのマンションを訪ね歩いたことに始まります。
 困っている問題とは、たとえば
  1. 分譲時に管理会社が設定した修繕積立金は安すぎないか? どの程度の金額が適正で、どのように値上げの提案をしたら入居者を説得できるだろうか。
  2. 決算書では、水道料金収支が赤字になっているが、他のマンションもそうなのか。
  3. 管理会社が管理組合の預金通帳と印鑑を持っているが、どうしたら自分たちの手に取り戻せるのか。
  4. 管理委託契約の内容を、管理会社と協議したいが、どう交渉すべきか。
  5. 会計決算の監査をしたが、領収書がないなどの不備があり、承認できない。
 ・・・などがありました。
 近くのマンションを訪ね歩いてみて、わかったことがあります。
  1. 同じような問題を抱え、困っている理事長さんは身近にたくさんいて、皆問題の大きさに途方にくれている。その悩みを分かち合える仲間ができると、知恵と勇気が湧き、問題解決の光が差してくる。
  2. 一方、いっさいを管理会社におまかせして、問題の存在そのものを自覚していない理事長さんもいる。訪ねて行くと、不審者扱いや、門前払いを食うこともある。
 このように、マンションの管理者である理事長の意識には大きな格差があります。
 何よりも、「自分の財産を自分で守ろう」という当事者意識を持つことが、マンションの財産保全の第一歩です。

◆互いが先生と生徒の立場を入れ替えて

 2年前に、呼びかけに応じた10名ほどの理事長(経験者)や、大規模修繕をやり遂げた建築士などが集まって、マンションに関わる広範な問題を話し合いました。
 懇談会という形で、各マンションの取り組み方を話し合うだけでも、自分のマンションの問題を解決するヒントが得られることを知りました。
 その後、勉強会という形で、エレベーターや自動ドアの保守業者、保険代理店の方々などを招き、質疑応答を通してマンション問題の奥深さや難しさを知りました。
 この2年間、支援を求めてきた管理組合には、世話人が個別に相談に応じ、問題解決に当たってきました。その結果、私たちの活動の趣旨を理解し、賛同して下さるひとが少しずつ増え、期せずして各方面の専門知識を持ったメンバーが顔を揃えるようになってきました。
 これまで30余の管理組合から、何らかの形で勉強会に参加があり、他のマンションで起きている問題は、自分のマンションでも起こりうるから、事前に予防策を立てようという考えも自然に身に付きました。
 各管理組合の決算書を1枚の表にまとめて比較してみると、それぞれの管理委託費の内容・金額に大きな差があることも一目瞭然となりました。それを持ち帰って、あらためて自分たちが必要とするサービスを吟味し、経費節減に役立てています。

◆共同購入という成果

 たとえば、灯油を、どこからいくらで購入しているかを調査した結果、その単価は、1.6倍程度の開きがありました。
 そこで、灯油の共同購入を呼びかけ、参加した全てのマンションで、それまでの購入単価を下回る価格で納入ができ、入居者の皆さんからたいへん喜ばれました。排水管清掃などの保守業務も、複数のマンションでまとめて契約することで経費の削減を実現しました。
 このように、これまで各マンションが個別に契約交渉していたことを、集まって行うだけで、大きな収穫を得られました。
 今年は、さらに消火器や、共用部の蛍光管などの共同購入を検討しています。

◆集まって活動することの意味

 マンションの個性はさまざまです。
 私たちにしても、自主管理をしているマンションがある一方で、分譲後数年経過してから理事会が大規模修繕の資金不足に気づき、相談に駆け込んできたマンションもあります。いずれにしても自分の財産(マイホーム)を自分で守ろうという意識を持ったメンバーが集まっています。
 問題の解決にとって最も有益なのは、たとえば、除雪や、メンテナンスなどについて、各マンションが、どこの会社と、いくらで契約して、どんなサービスを受けているかという具体的な情報です。こうした情報は、書籍や専門紙では得ることができません。ですから、情報の交換と共有こそが集まって活動する最大の目的です。
 一方、マンション管理に関わる問題の解決には、法務・財務・保守・修繕などの専門知識が必要なことも多く、こうした分野の専門家との連携が必要になってきます。
 そうした広範な支援活動を行っていくためには、明確な理念と、しっかりした運営組織が必要になってきます。

◆NPOをめざして

 マンションを購入した時点で区分所有者としての権利と義務について知り、入居直後から、当事者意識を持って管理組合活動を開始できれば、10年後に大規模修繕での資金不足に悩むようなこともなくなるでしょう。そういう早い時期に、私たちの経験談をお話し、管理組合立ち上げのお手伝いをすることも必要だと考えています。
 今年は、外壁や配管の大規模修繕工事の見学会をはじめ、研修会・勉強会の開催などを、積極的に取り組んででまいります。
 活動開始から3年目を迎えましたので、より大きな成果をめざし、非営利活動組織の認証を取得するという目標を掲げ、地道に運営していきたいと考えています。

 (文責:寺地 信義)

【私見】
 このネットワーク設立に関わった世話人の一人として、着実に成果が上がってきていることに、意を強くしている。
 もう少し足固めをしてから、正式にホームページを立ち上げたいと考えていたが、新聞などのメディアに取り上げられるようになり、「北海道マンション問題支援ネットワークとは、いったい何者だ?」と聞かれることが多くなったので、世話人会で協議して、これまでに集まった情報を、私が暫定的に公開することにした。
 いささか泥縄の感が否めないが、いまさらかっこつけても仕方がない。
 私たちはどこまでも、泥臭い活動をしようとしている。
 文字通りの手弁当活動である。
 できることは限られているが、活動の密度はかなり濃いと自負している。
 ありのままの私たちの活動を公開して、一人でも多くの賛同者を募ることにしたい。 
 (2001/4/6)
 


【グループ解散にあたっての私見】

私たちのグループは、それからいろいろな活動をした

 最初の雰囲気は第1回会合の記録を読んでもらったら、伝わると思う。 

 私たちは、毎週水曜日の午後7時から、10時頃まで、熱心に自分たちのマンションで起きている問題を中心に話し合った。よくも、毎週、毎週、話の種が尽きないものだと、互いの顔を見渡しながら、笑った。缶ビールを飲みながら話し合ったことも、代表の奥さまのおいしい手料理に舌鼓を打ったこともある。誰かが出張に行ったら、当然お土産のまんじゅうを食べながらの会議である。
 こっちのマンションで漏水事故の後始末がついたと思ったら、そっちのマンションでは、エレベーターシャフトに水が流れ込んだ。玄関ホールの天井でぼや騒ぎがあったかと思えば、屋外階段が凍害でぼろぼろになって壊れた。
 何の問題も起きていない週など、なかったと思う。

 私たちは、総力を集めて、「マンション管理費の決算書をどう読むか」「エレベーター保守契約の基礎知識」といった市民向けセミナーを開催し、それぞれ50名近い参加者を集めた。
 地方紙や、マンション情報紙にも活動の一部が紹介され、代表宅の電話が鳴りやまない日もあった。
 マンション問題の広さと深さを、身に染みて感じた。
 でも、私たちの出発点は、「自分たちのマンションを守ろう」だったし、「そのために相互研鑽(勉強)をしよう。」だった。

 勉強して、だんだん賢くなっていくプロセスは、水道料金問題を読んでもらったら、面白いと思う。

 ところが、こうして2年もするとマンションの「理事輪番制」によって、役員でなくなるメンバーも出てくる。
 せっかく話し合って、身につけた「知識」も、直接には自分の住むマンションで役に立てることができないという、中途半端な気分になる。
 苦労して身につけた「さまざまなノウハウ」を、他のマンションにも教えてあげたいというのも、道理だ。
 30歳代から、60歳代までいる世話人の中には、「困っているマンションの理事会に支援に行くこと」を、自らの使命と感じたメンバーも現れてきた。

 最初は、全員がサラリーマンだったが、定年を迎えたひともいれば、私のようにサラリーマンを辞めて、マンション問題の解決に「業」として取り組もうというメンバーも出てきた。使える時間、目指す方向が、それぞれ少しずつ違ってきた。
 ひとつの枠では納まりきらなくなってきたのだ。

「卒業式をしよう」と決めた日

 私たちは、「(自分の)マンションをなんとかしたい」という共通の課題をもったメンバーが、真剣に話し合う場を求めていた。「1カ月に1回」とか、「半年に1回」の会合では、とうてい解決などおぼつかないと、痛感していた。
 だからこそ、毎週3時間という(常識で考えたら)きわめて頻繁な集まりに、高い出席率で集まったのだ。

 そこでは、組織として何かをするということよりも、「今、目の前の問題を解決したい、何とかしたい。」というそれぞれの思いが常に強く働いていた。だから、自分のマンションの役員でなくなって、差し当たってそういう煩わしさから遠ざかったメンバーは、自然に「働き場所」を求めて外に出ていくことになった。

 はじめのうちは、「水道料金問題をはじめ、会計処理のルールを是正するだけで、多額の管理費用を節減できた。」という、メンバーの報告を受けて、「すごいねえ、勉強した成果だね。」と拍手した例がたくさんあった。
 しかし、たとえば「管理費用の節減」を追求していった結果、あるマンションの「過去の役員」の不適切な会計処理や帳簿の不備などを発見したという話については、それに対する対処をめぐってメンバーの意見が分かれるようになってきた。

 一部のメンバーの活動が、「ネットワーク」という組織そのものとして評価を受けると、意見を異にするメンバーにとっては苦痛になる。そうしたことが、2002年の秋から、顕在化した。

 2003年2月、私たちは、あえて言いにくいことを言い、「考え方の妥協点がない」ということを確認した。
 「考え方」を巡って、これほど熱く話したことはかつてなかった。
 代表は、「よし、卒業式をしよう。」と提案した。

 2003年3月8日。
 世話人メンバーが一同に会した。
 代表の挨拶。
「4年前、我々はマンション問題という卵の殻を破って飛び出した、よちよち歩きのヒナドリだった。
 我々は、それぞれのマンションで起きている問題をなんとか解決したいと、助け合い、教え合って今日まで頑張ってきた。
 まずもって、そのことを互いに讃え合おうではないか。
 やがて、我々は、他のマンションで起きている事例を見ながら、急成長を遂げた。
 いまや、我々は4年前のよちよち歩きのヒナドリではない。
 それぞれが成鳥になって、こうしてあらためて見回したとき、ひとつの鳥かご中に、鷲や鷹もいれば、鶏や鳩もいることに気付いたのである。
 とても、同じケージの中で生きていくのは不自然だということが、誰の目から見ても明確になった。
 そこで、今日はケージの扉を開けて、めいめいの思うままに飛び出すことにしよう。
 今日は喜びの巣立ちである。これからの皆さんの活躍を切に祈ろう。」

個人的な感謝

 ネットワークという集まりがなければ、私は決してサラリーマンを辞めてまで起業することなど考えられなかった。た。
 その意味で、ネットワークは私にとって生みの親であり、育ての親である。
 どんなに感謝しても尽くせるものではない。

 メンバーの皆さんの、今後の活躍・発展を心から祈りたい

【これからのこと】 

 私自身は、新しい構想のもとに、ユーザーのネットワークと、プロの組織、二つを作りたいと思っている。
 このHPからメールをいただいた方には、呼びかけていくつもりである。
 4年間のネットワークでの活動を基礎に、これからはもっと価値ある活動を展開したいと願っている。

(2003年3月12日)


マンション改修